不朽の名作・ジブリ映画『平成狸合戦ぽんぽこ』。
かなり久しぶりに見てみたら、ちょっと?なシーンがありました。
それが、最後の方のシーンに出現する”宝船”。
あれっていったいどういう意味があったのでしょうか?
というわけで今回は、平成狸合戦ぽんぽこの宝船が出現するシーンの意味について調査をしてみました。
【平成狸合戦ぽんぽこ】宝船が出現するシーンに込められた意味とは?
変化することができない狸が死んでいくシーン
実力行使で人間にあらがったけど、結局無理だったから「せめて死ぬ時くらいは楽しく死んでいこうや」というあきらめ
宝船が出現してドンチャン騒ぎをしながら黄泉の世界へ旅立っていくシーンのナレーションはこうです。
「並のたぬきは死出の旅 生きて帰らぬ死出の旅」
つまりあの宝船は、変化ができない、人間の世界に溶け込むことができない狸たちが黄泉の国に行くための船なんですね。
劇中でも狐の竜太郎が「化けることができない狸の面倒まで見れない」という趣旨のことを話しています。
最後、変化のできない狸たちをあつめた権太(ごんた)たちが、絶対に適わないと知りつつ人間へと真っ向から立ち向かいます。
自決のようなシーンでしたね。
権太たちも半ば「無理じゃね?」とあきらめて、思考停止になった末強硬策に打って出た。
そんな権太たちを止めようとするも無理だった正吉たちは、あきらめてそれを眺めることしかできませんでした。
一種の「生の諦め」みたいなものでしょうか。
打つ手打つ手がすべて無駄に終わった末、禿げ狸もとい長老は踊念仏を唱える宗教染みた
言ってしまえば「頭がおかしく」なってしまったワケです。
他にも「七人の侍」の詩の一説を引用していたりもします。
昨日見し人 今日はなし
今日見る人も 明日あらじ
明日とも知らぬ 我なれど
今日は人こそ 哀しけれ
僕は古文については全くの無知なので、この文章を読み解くことができないのが非常に残念ですが、平家物語の無常観を表しているらしいですね。(間違ってたらゴメンナサイ)
まぁ要するに「人間強すぎ。どうしようもねぇ」ってことですね。
そして結果、残された狸は人間に化けて人間界に溶け込み、人間界になじめないものは残飯をあさったりして何とか生き延びるという選択をとりました。
狸はみ~んなあきらめざるを得なかったのです。人間が強すぎて。
まとめ
・あきらめのシーン
・「死ぬ時くらい楽しく踊らせてくれや」という意味での宝船
というわけで今回は、平成狸合戦ぽんぽこに出現する宝船のシーンの意味について調査をしてみました。
いかがでしたでしょうか。
平成狸合戦ぽんぽこって、とてもポップな感じに描かれているのに、実際結構えぐいですよね。
狸は人を殺すし、人は容赦なく自然を削るし、憎み合って分かり合えず最終的に人間に屈服せざるを得なくなる。
そんなポップさと内容のギャップがキツくて、あまり面白くないという感想を持つ人も多いようですね。
それでは^^
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